
写真(神戸新聞NEWSより引用)は、神戸市東灘区の魚崎にある、阪神・淡路大震災で犠牲になられた方々への追悼慰霊碑で、当社が納めました。
また、町内で犠牲になられた方の無念を忘れないで、という地元の方々の思いで、その方々のお名前を刻んだ石碑も作らせて頂きました。
しかし、震災から14年の月日が流れ…。
震災のあとに東灘に越してこられた方も多く、また、震災後に生まれた子供たちが圧倒的多数を占めるため、「震災のことそのものを、この碑に残さなければ…」という御声があがるようになりました。
先日、その碑も納めました。写真の手前右がその碑です。
その事が、神戸新聞にも掲載されましたので、ここに紹介させて頂きます。
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震災慰霊碑に説明の碑 新しい住民増加で 東灘区
阪神・淡路大震災で二百六人が亡くなった神戸市東灘区の魚崎地区にある慰霊碑そばに十五日、建立の由来を記した石碑が建てられた。同地区ではマンション建設が相次ぎ、震災を知らない住民が増加。慰霊碑が表通りから見えにくい場所にあるためか、存在を知らない人もいるという。石碑には「忘れないで 永遠に」と刻まれている。(中川 恵)
慰霊碑は、震災翌年の一九九六年四月、魚崎町協議会と長年交流している鳥取県江府町の見舞金などを使い、神戸市東灘区魚崎中町四の地域交流施設「魚崎わかばサロン」西側に建てられた。二〇〇〇年五月には、二百六人の名前を刻んだ石碑も設置した。
同協議会会長の室谷弘文さん(73)によると、建立後数年は、一月十七日に三百人以上の人が訪れたが、現在は半減。遺族が転居したり亡くなったりしたほか、新住民も増えた。慰霊碑と隣接する戦没者の忠魂碑と間違う人もおり、風化を恐れた同協議会が昨年、由来の石碑を建てることにした。
本御影の台座にはめこまれたステンレスのプレートには、犠牲者の冥福を祈り、支援に対し感謝する言葉が示されている。
魚崎町防災福祉コミュニティは十七日、同地区にある魚崎小学校で防災学習会を開き、震災を知らない子どもに被災体験を語る。同協議会副会長の粉谷勝巳さん(68)は「住民の移動があるのは仕方がない。しかし、震災のことを忘れないでほしい」と話している。
(神戸新聞1/16 10:14)
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