2008年7月16日水曜日

自分と向き合うお墓参り


特集ワイド:お墓参りの勧め 「千の風になって」新井満さん

 ◇静かに まぶたを閉じ 心を平安にすると かなたから声が響いてくる

 そこに眠っていないのなら、お墓参りは……。「千の風になって」が大ヒットした影響で墓参りを見合わせる人が出ている(?)ともうわさされるが、その日本語詞を書き、作曲もした作家の新井満さん(62)は、実はお墓参りが大好きで、「暇さえあれば、出かける」のだという。死者と向き合い、そして、自分と向き合うお墓参りの醍醐味を聞いた。【大槻英二】

 横浜市神奈川区の六角橋。昭和の薫り漂う商店街に、待ち合わせた喫茶「珈琲文明」はあった。クラシックのBGMとコーヒーの香りに癒やされながら、天井に描かれた青空をぼんやり眺めていると、トレードマークの帽子をかぶった新井さんが現れた。

 「笑い話ですよ」と前置きして語り始めた。「例年より墓参りする人が減って、全国のお坊さんたちが腹を立てているそうです。どうやら犯人はあの歌の歌詞にあるらしいと。まあ、それぐらい日本中の皆さんに『千の風になって』が親しまれたということから生まれた冗談だとは思いますが」。ぬれぎぬを晴らすように続ける。「ああいう歌を作ったから、新井は墓参りには絶対行かない人間だろうと思っている人も多いようですが、それは誤解です。私自身は小さいころから、しょっちゅう墓参りに行ってました」
 新井さんは2歳のとき、父親を亡くした。以来、母親に手を引かれ、毎月のように、日本海を望む海辺の墓地に行き、墓前で手を合わせた。それゆえ、お墓はとても親しみ深い場所なのだという。
 肉親や友人の墓参に限らない。その作品に感動した文学者、音楽家、画家たちのお墓もよく訪ねる。「アルプスの少女ハイジ」の作者シュピーリ、幕末の志士、坂本龍馬、天才画家デ・キリコら国内外の墓を訪ねた紀行文と写真でつづった「お墓参りは楽しい」(朝日新聞社)と題する本まで出したほどだ。
 「ミーハーな性格のせいでしょうね。作品が好きになると、次はその作者に非常な興味をもつ。そのうち会いたくなる。生きている人ならば、自宅を調べて飛んで行き『感動しましたあ!』と言って、一緒に記念写真を撮ったり、サインをもらったりしたい口なんです。ところが、私が会いたい人たちは、既にほとんどの方々がこの世の人ではない。でも会って話をしてみたい。そんなとき、どこへ行けばいいかというと、お墓しかないわけです。墓地は死者の現住所のようなもので、この世とあの世の交流場所みたいなところです。もっと気軽に出かけましょう」

 喪服を着て、供え物を用意してと、つい身構えてしまうが、作法はあるのだろうか。
 「そんなのいりません。お線香やろうそくはあってもいいし、なくてもいい。どうしても、死者のために何かしてあげたいと思うならば、その人が生前、好きだった花、あるいは、好きなんじゃないかと思われる花をささげることです。もちろん、手ぶらでも構いません」。三波春夫さんの墓前には桜の花を供えた。

 「肝心なことは、墓地まで足を運び、墓前に立って、静かにまぶたを閉じて、心を平安にすること。そうすると、墓地はたいてい静かなところにありますから、野鳥のさえずりとか、遠くの教会の鐘の音とか、いろんな音が聞こえてきます。そのうち、闇のかなたから響いてくる死者の声に、そっと耳を傾ければいいんです」
 死者との対話というと、スピリチュアルな世界に入り込んでしまうようだが、それは、自分との対話でもあるという。新井さんが26歳のころ、函館の石川啄木の墓参に初めて訪れたときは、闇の奥から「どこの、誰だ」と早口で甲高い男の声が聞こえてきた。
 「もしそう問われたならば、怖がらないで、礼儀正しく自己紹介する。これが墓参のマナーです。敬愛する人のお墓参りをする時には、あなたの生涯は素晴らしかったとオマージュ(称賛)する。冥福を祈る。そして、墓前で死者と親しく対話する。その対話とは、実は自分との対話でもある。その人を敬愛してきた自分の来し方を振り返り、同時に自分の行く末に思いをはせることでもあるんです」
 慌ただしい時代、立ち止まって、死者に思いをはせる余裕をみつけるのも難しいことだが、そんな時代だからこそ、時には墓地に足を運んで自分を見つめ直すのも悪くない。しかし、お墓に行けば、いつでも死者に会えるというわけではない。不在の時も多い。
 「死者は風になる、と私の歌はうたっています。風は世界中を自由自在に吹きわたるわけですから、常にお墓にいるとは限りません。墓前で、いくら呼びかけても、死者の声が聞こえない時には、がっかりしないで、いまどこにいらっしゃるのだろうと考えることです。そんな時は、死者が生前、大好きだった場所を訪れることをお勧めします」
 新井さんが遠藤周作さんの墓参に行った時もそうだった。東京・府中のカトリック墓地を訪ねた日は、冷たい雨が降っていた。問いかけても、返事はない。遠藤周作文学館のある長崎の外海(そとめ)町(現長崎市)を訪ね、「沈黙の碑」に足を運んだ。そこに、いらっしゃった。

 「大切なのは、死んだ人を決して忘れないこと。後に残された生者がずっと覚えている限り、死者はいつまでも心の中で生き続ける。それが最大の供養です。余命がまだ何十年もあったはずなのに、無念にも亡くなってしまった人もいます。そういう場合は、死者の分まで生きてあげるのが、生者の義務といっていい。そして、生者もいつか死者になる。そうなったら、風になって、後に残してきた人々を見守ってあげればいいんです」
 インタビューを終えて、商店街の狭い路地を歩いた。大通りに出ると、すーっと心地よい風がほおをなでた。無数の死者たちに囲まれて、いま自分は生かされているのだなあ。あの人のお墓参りに行ってみたくなった。

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 ■人物略歴
 ◇あらい・まん
 1946年、新潟県生まれ。88年「尋ね人の時間」で芥川賞。98年長野冬季五輪開・閉会式のイメージ監督を務める。訳詞、作曲、歌唱した「千の風になって」がロングセラーとなるなど、多方面で活躍。近著に「良寛さんの愛語」(考古堂)。
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(毎日新聞 2008年7月15日 東京夕刊より)
          

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